影を持つ事の大きさ

影を持つ事の大きさ

誰にでも、触れられたくない過去のひとつやふたつはあるものです。

「いつか笑い話になる」ような恥ずかしい過去。

「絶対人には知られたくない過去」。

事の大小は人によって様々ですが、こういう過去を「影」の部分と表現するとして、その影がどのような効果や影響を及ぼすのかを、個人的な主観で考えてみました。

人で言う「影」とは、他人に知られたくない事や経験を背負う事で自然と身に付くもので、それは雰囲気であったり、表情であったり、所作であったりと、その人の外面を形成するひとつの要素となっています。

それを「あの人にはどこか影がある」と表現したりするのですが、そう言いながらどこか惹き付けられるものを感じた事は、多くの方に経験があるでしょう。

褒め言葉ではないにしろ、けなしている訳でもない。

本人は隠しているつもりでも、隠しきれない人生の影というのは、見えそうで見えないベールに包み込まれた、どこか複雑で深いものを感じさせるものです。

ただ、あまりに抽象的なそれは、すべてを語る訳ではなく、断片的な「匂い」として情報を発信してきます。

匂いでしか感じる事ができないから、その核心を知りたい。これが人の持つ本能なのかもしれません。

人が人に関心を持つ根本「興味」がそこに生まれます。

そう考えると、影というものには人を引きつけてやまない魅力があるといえます。

このように「影は魅力」にもなりますが、同時に「麻薬」にもなり得るリスクを含むものです。

だから、匂いの根本を探る嗅覚が大人になると発達します。経験を重ねて、自分もある程度の影を背負う事で、その引換えに嗅覚を発達させるのです。これは、リスク回避の役割を果たすと同時に自身の安全圏を計る目安にもなります。

この嗅覚は、書籍や人の話など、シュミレーションが可能な材料が多数出回っており、情報過多の昨今においては、今や死後となった「丘サーファー」ならぬ「丘経験者」が、まるで自分が実際に経験したかのような、まことしやかな口調で講談してくれますが、そこには当然のごとく「影」は見当たりません。

あまりに大きな影を纏ってしまうと制御できなくなる危険をはらみますが、そうでなければ経験して、どんどん手に入れるべきではないかと思うのです。

それを人の「器」というのかもしれません。

器の大きな人はとても魅力的です。

陽的要素ばかりでなく、こういう影の部分も、人の器を大きくするためには必要な要素だと考えると、無駄な事など何一つないのかもしれませんね。