料理の味と価値観

料理の味と価値観

「カジ男子」という言葉を最近よく耳にします。

自宅の掃除や料理などをする男性を指す言葉らしいのですが、私の友人、特に年上の男性の多くがこの「カジ男子」である場合が多く、彼らのもてなしには随所にこだわりが見られます。

私も料理は作るのですが、さすがに毎日という訳ではなく、気が向いたらちょこちょこと作る程度。それも家族からは「キッチンが汚れる」「食費がかえって高くつく」という理由からあまり喜ばれないのも事実。

聞くと、私の周りにいる「カジ男子」は仕事をしながら料理や洗濯もこなす優等生ばかり。私はよく彼らの自宅に招かれては、この美味しい食事にありついているのです。

先日の夜、その友人の一人と会食する機会があり、久しぶりに夜の街で食事をしました。私のイチ押しの広東風の中華料理店で待ち合わせ、メニューを見ながら、今日のおすすめ料理を注文していきます。

「おすすめのお店と聞いてるから、どんな料理が出てくるのか、とても楽しみだよ」

自分が毎日関わっているものだから、やはり深い興味があるのでしょう。会話を楽しみながら料理を待っていると、できたての料理がテーブルに並び始めました。

ゆっくりと、確かめるように料理を味わうのを見ていた私。

おすすめの店だと連れてきたのだから、気になるのは当然の事です。

「旨い!広東系の中華だね、これは美味しい」

顔がほころぶ店主に、友人は続けて話し始めます。

「料理の味が合うっていうのは、考え方や価値観も合うっていう事なんだよなぁ。この料理を作っている店主と私はどこか価値観が合うのかもしれないね」

言われてみると確かにそうかもしれません。

料理を作るという行為は、その人そのものの感覚の表現。

その感覚が合うという事は、ものの感じ方や感性が近いという事を表しているのでしょう。

こういうところからも人を感じる事が可能だとは、同じ男性でも大いに見習わなくてはいけません。

あまりに当たり前に口にしている「食」の奥深さを、彼らの話から垣間見た時、デザインという仕事をしている自身はどうなのかと振り返ってみると、これもまた「食」のそれと近いものがあるのではないかと考えさせられました。

会話をしなくても通じ合えるもの。

「食」「音楽」「デザイン」etc

感性を磨くというのは、良いものを見極めると同時に、その背景にある作り手の人柄までも感じる行為を言うのかもしれません。